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祝子川渓谷の山女魚

祝子川渓谷は、ユネスコエコパークに認定され、九州最後の秘境と呼ばれる大崩山に源を発します。その上流部は花崗岩の渓谷で、巨岩の隙間を透明な水が縫うように流れる美しい渓谷です。

水温が低く、急流のこの渓谷に棲息できる魚は数種。その代表はやはり『山女魚(ヤマメ)』です。 地元では『エノハ』と呼び、海の遠いこの地域では、貴重な鮮魚として古くから釣り漁の対象となってきました。  ここでは昭和五十年ごろから祝子川漁協によって養魚場が作られ、ニジマスとヤマメの人工孵化と養殖が続けられてきました。  在来種のヤマメの特徴はヒレなどに現れる朱色が鮮やかなこと。一般的に養殖池で育つヤマメは体も丸みを帯び、色も鈍くなるのが普通です。しかし、ここのヤマメは池で育っても、川で育つ天然物のヤマメに近い魚体に育ちます。「まだ在来種の遺伝子が強く残っているのか、または池に引いている祝子川の水のせいか・・・」と、養魚場の伊藤雅彦さんは言います。

この日養魚場を訪れたのは、料理人の吉田さん。北浦で漁師の家に生まれ育ち、海の魚には慣れ親しんでいますが、ヤマメの育つ川を訪れるのは初めてのこと。

ヤマメの養殖は、秋、十一月に親魚から採卵することから始まります。ヤマメは産卵期になると他のサケ科の魚と同様に、雄の鼻は尖り体の色も濃くなり、雌と雄の見分けがつくようになります。雌雄を判別し、雌のお腹の卵が成熟するのを待って卵を取り出し、雄の精子を混ぜて受精させます。  受精した瞬間に、この年採卵した40万個の卵一つ一つに命が吹き込まれます。受精卵は冷たい水の中で一ヶ月ほどで成長し、孵化します。春に向けて少しずつ水温が上がっていくにつれて、稚魚は活発に泳ぎ回り、細かい粉末の餌を食べるようになります。やがて屋内から屋外の池に移され二〜三年、大きいものは30センチを超える尺ヤマメとなります。

通常、塩焼きや刺身用として出荷されるのは体長20〜25センチほどの魚です。  しかし、吉田さんが食材として選んだのは体長10センチほど。冬に生まれて十ヶ月ほどの小ぶりなヤマメです。これには吉田さんの狙いがありました。「骨も内臓も一緒に、頭から丸ごとヤマメを食べてみたい。」そのために、事前に連絡して二日ほど給餌を止めてもらっていたのです。  祝子川の川原に炭火をおこし、鉄串を打ったヤマメに、始めは塩をふらずにゆっくりと熱していきます。新鮮な魚は急に加熱すると、半身だけが収縮して骨に沿って身が裂けるので、それを防ぐためです。ヒレを広げ、あたかも渓流の中で泳いでいるかのような姿に焼き上がったヤマメに、初めて塩をふって、『若ヤマメの姿焼き』の完成です。  ヤマメは元来、海に下って成長する(降海型)サクラマスの中で、一生を川に残って生きる(陸封型)魚。祝子川の凄烈な真水で育ったヤマメに日向灘の塩を軽くふるだけの姿焼きは、その味を引き出すための必要最低限の調理、理に叶った一品です。